大岡祭
改選後初のお仕事は大岡祭の大岡忠相公墓前法要です。
15代御当主夫妻をお迎えして菩提寺(浄見寺)で行われました。茅ヶ崎市北部は徳川家が江戸に移っからのて大岡家500石の知行地です。
大岡忠相公は町代の廃止(享保6年)や町名主の減員など町政改革も行なう一方、木造家屋の過密地域である町人域の防火体制再編のため、享保3年(1718年)には町火消組合を創設して防火負担の軽減を図り、享保5年(1720年)にはさらに町火消組織を「いろは四十七組(のちに四十八組)」の小組に再編成した。また、瓦葺屋根や土蔵など防火建築の奨励や火除地の設定、火の見制度の確立などを行いました。また、江戸期に旗本から大名格となった唯一の一族です。
消防団の原点の創始者であり、墓前法要には江戸から保存会の皆様がお越しになられ木遣法要をして下さいます。
翌日はゆかりの町・岡崎市、防災協定の佐久市・泉佐野市のブースを表敬訪問いたしました。佐野市議長と暫し昔話など交わして敬意を表しました。
2期目の議員さんは、新型感染症により外交経験が無い事を痛感いたしました。
この辺りについては感染症蔓延前に修復する必要があります。